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●祖母の在宅介護から 福祉の道を志す |
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大正小に入学 |
私は新座市生れ。両親はビデオ製作会社を経営し、共働きでカギっ子でした。土日は近所の祖母の家でお風呂を洗ったり、相撲を一緒に見たり・・。
中学生の頃からは入退院を繰り返す祖母を引きとって一緒に暮らすようになりました。
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大好きな祖母と |
私は部屋が隣だったので、食事の世話をしたり話し相手になったり、夜も起きて世話をする事もありました。
祖母を家族で看るなかで、「困っている人の役に立ちたい」「福祉の道に進みたい」と考えるようになりました。
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●学費値上げ反対運動など かけがえのない友との出会い |
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バイト先で店長と |
バブルが弾けて両親の会社の経営が大変な時だったので、日本福祉大学(愛知)の二部に入学した後、奨学金を借り生活費を稼ぐため日中や土日は働き、夕方から授業を受ける日々。仕事で疲れ果てて勉強にならず何のための大学か悩みました。
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障がい者ボランティア |
しかし、学費値上げ反対の運動や原水禁大会、障害者ボランティアなどに参加して、夜通し話し合う、かけがえのない仲間を得て、日本共産党にも入党しました。
卒業後は月2・5万円、4年間借りた奨学金の返済が大変でした。
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●私と関わった人を死なせない 精神科現場で |
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みさと協立病院に就職。ソーシャルワーカーとして精神科、内科の患者さんご本人やご家族からの相談支援業務に携わりました。 |
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みさと協立病院の仲間たちと |
自己責任の名のもと、失敗が許されない社会の中で、人間関係がうまくいかずひきこもりになる青年。就職が決まらずうつになる方、障害を抱えた子どもの将来を心配するご家族。一人一人に寄り添い、格闘の日々でした。
ある時、担当している一人暮らしの患者さんが受診に来ないため、自宅を訪問すると自死されていました。私は「自分と関わった方を絶対に死なせない」と堅く決意しました。
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●回復を信じる そのままでいいんだよ |
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人と目線を合わせられなかった方が、マスクを外せる、外に買い物に行ける、就労できるなど、一歩でも、自立を支援できた時の喜びは、言葉に表せないほどです。あなたはあなたのままでいい。どんな人も変われると、信じられるようになりました。 |
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●障がいがあっても地域で自立し、働ける場を |
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医労組の仲間と国会座り込み |
だれもがいつ障がいを持つか分からない世の中です。
私は精神科の現場で働いていた経験を生かし、グループホームや就労継続支援施設、訓練のための施設など、障がいがあっても、地域で自立し、働ける場を増やしたいです。
また、福祉を切りすて、「戦争する国」に進むアベ政権に、二児を育てる母親として立ち向かっていきます。
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